ロックやモンテスキューが唱えた三権分立とは|政治経済勉強法
そもそも、どうして権力を分立したの?
権力分立は、そもそも人民の自由を守るため、権力乱用の防止システムとして、
ハリントンが著書「オセアナ共和国」の中で権力分立を説きました。
一人の王が、全ての権力を持っていたら危険。という考えです。
その後、ロックとモンテスキューが三権分立を提唱しました。
ロックの三権分立(でも、二権?)
ロックの三権分立は、立法権(国会)>司法権・同盟権(国王)。
立法(国会)が国王の権利より優位になる形を取りました。
これを、立法優位型とし、この論を「市民政府二論」といいます。
ただ、これは三権分立と唱えているが、二権分立とも称されています。
モンテスキューの三権分立
モンテスキューの三権分立は、立法権・行政権・司法権が独立しています。日本がこの形になります。
ロックと決定的の違いは、
司法権を独立させた(他の権利と一緒にしなかった)ところです。これを「法の精神」といいます。