薩長同盟はなぜ結ばれたのか?!もう一度おさえておこう!
薩長同盟という名前は知ってるけど、実際どんな意味があったのか知らない人は今おさらいしよう!!
日本が近代化していくうえで、薩長同盟ってポイント高いんですよ♪
当たり前のことだけど・・
薩長同盟は、薩摩藩と長州藩の間で結ばれた同盟のことです。
薩長同盟を結ぶにあたって、両藩の間をとりもったキーパーソンが坂本龍馬。
薩摩藩と長州藩は当時とっても犬猿の仲だったので、薩長同盟は周囲もびっくりな出来事でした!!
それぞれの藩の背景を覚えておくなら、薩長同盟のポイントをおさえることができます!!
と、説明に入っていくのですが日本史で出てくる薩摩藩、長州藩出身者は押さえられていますか?
怪しい人はこの記事で確認しましょう!
幕府の思惑
薩長同盟を結ばれて一番困ったのは、もちろん徳川幕府です。
長州藩は攘夷を掲げた倒幕運動を起こし、倒幕派のリーダー的な存在でした。
そんな長州藩を幕府が目の敵にするのは当然です。
長州藩を倒せば幕府の力をしめせる!!と考えてた徳川幕府は、各藩に長州討伐を命じていました。
この長州討伐のリーダー格だったのが薩摩藩でした・・・
ですから、薩長同盟は幕府にとってかなりピンチな出来事だったんです!!
長州藩の事情
薩長同盟を結ぶ前から、幕府にはにらまれ続けてた長州藩ですが・・
朝敵つまり天皇の敵ともされていたので、武器の購入を禁止されていたんです。
戦う武器が手に入れられないって・・大・大・大ピンチ!!な状況でした。
長州藩にとって、薩長同盟は武器ゲットの大チャンスとなりました♪
薩摩藩の事情
薩摩藩としては、戦争回避&倒幕希望という立場でした。
薩長同盟を結ぶ以前、薩摩藩は薩英戦争後に仲良くなったイギリスや琉球藩とのつながりで財政が潤っていました。
この薩摩藩の良い状況を脅威に感じた徳川幕府は、薩摩藩の力を弱めようと長州討伐を命じたワケです。
薩摩藩としては、長州藩と戦争をするなら軍事力も経済力も衰えてしまいます。
さらにこの時に幕府には雄藩否定論(力のある藩は潰せ的な)の風潮があったので
もし長州に勝ったなら、次は薩摩藩が潰されるかもしれないという心配もありました。
そこで幕府に目をつけられたとしても、長州が主だって幕府と戦ってくれる方法が薩長同盟だったのです。
薩長同盟を結んだメリット
この2藩の背景から、薩長同盟を結ぶと
長州藩→薩摩藩を通して武器が手に入る
薩摩藩→戦争回避でき、表立って倒幕運動したくない
という利害関係が一致しちゃうワケです。
薩長同盟を結ぶことで、薩摩藩は長州藩が幕府と戦争する手伝いをしたんですね。
薩長同盟の結果
薩長同盟によって大打撃を受けたのは、もちろん徳川幕府です。
第二次長州征伐を命令した時、薩長同盟で2藩がつながってるなんて知らない幕府は、薩摩藩に出兵拒否されビックリします!!
それでも、長州討伐を決行します。
結果、長州藩は攻めてきた幕府軍に勝利しました。
そして薩長同盟による幕府の敗戦で、だんだん開国に向け動き出していくんです!!
薩長同盟後も、西郷隆盛や坂本龍馬が波乱万丈な人生を送ることからも幕末の動きは複雑です。
おさえたい要点として、徳川幕府が衰退していくポイントの一つが薩長同盟!!ということでした♪
(問)薩長同盟に関する記述として正しいのはどれか次の①~④から1つ選べ。
① 薩長同盟が結ばれたのは、1865年である。
② 薩長同盟を結んだ長州藩側の人物は、勝海舟である。
③ 薩長同盟を結んだ薩摩藩側の主な人物は、西郷隆盛と桂小五郎である。
④ 薩長同盟を結ばせるのに尽力した土佐藩出身の人物は、坂本龍馬と中岡慎太郎である。
答え ④
(確認)
①薩長同盟が結ばれたのは、1866年。(1867年の大政奉還の1年前です)
②長州藩側の人物は、木戸孝允です。桂小五郎とも呼ばれた人ですね。
③薩摩藩側は、西郷隆盛と大久保利通が主な人物です。小松帯刀(薩摩藩)の屋敷で行われました。