初期荘園から寄進地系荘園までを解説!初期荘園と寄進地系荘園あなたは説明できる?
荘園は8世紀から16世紀まで800年も続いた重要な土地の所有形態です。
ここでは8世紀から11世紀までの荘園(初期荘園〜寄進地系荘園)について解説します。
荘園の始まりを理解することで律令制の終わりを理解できるようになり、
初期荘園や寄進地系荘園という荘園の形態の変化を理解できれば、その時代の流れもつかめてくるようになります。
荘園は教科書ではあまりページを割いている項目ではありませんが、しっかり抑えておけば
奈良から平安までの理解に役に立つはずです。
荘園が生まれた背景
645年からの大化の改新で、土地は全て国家=公のものであると制定されていました(公地公民制)が、
723年の三世一身法の制定により、墾田の私有化が緩和されました。
人口の増加や税収の不足に対して生まれた法律です。
これにより土地を開いた人、その子、孫の代まで、耕地の所有を認められることになりました。
しかし、三代経てば開いた土地も国に返却しなければなりません。
せっかくの法律もうまく効果が出ませんでした。
そこで743年、墾田永年私財法が制定されます。
法律で許されたため、寺社や貴族などが大規模な土地の開墾をしました。
これを初期荘園といいます。
荘園の発達は律令国家が終焉していく、直接的な原因の一つと考えられています。
初期荘園の特徴
主に8世紀から9世紀にかけての土地の所有形態で、この荘園には田租と呼ばれる税金がかかっていました。
税収を増やすためには土地を拓いて耕地を増やさなければならない。
でも拓く人のモチベーションを上げなければ開墾も進まない。
仕方ない、拓いた土地をその人のものにしよう、と考えたのですね。
つまり、初期荘園とは田租を増やすための政策だと考えることができます。
初期の荘園ではこのように不輸の権が認められず、また私有地とはいえ田租を取るために、
国司による介入もありました。
しかし、この初期荘園は税の負担や人的な負担も大きく、9世紀後半から10世紀にかけて次第に衰退していきます。
免田奇人型荘園、雑役免型荘園、寄進地系荘園など新しい形態が生み出されました。
荘園は進化する。寄進地系荘園について
せっかく拓いた荘園ですが税金の負担は思った以上に大変だったようで、経営は簡単なものではありませんでした。
しかし、一部の有力な荘園領主は国家から田租の免除を勝ち取ることができるようになりました。
でも全ての荘園が不輸の権を獲得できたわけではありません。
相変わらず税金を苦労して収めている領主もありました。
そうなると、いかにして税を逃れるかということに知恵を絞るようになる人が増えてきます。
この問題を解消するために、生まれた形態が寄進地系荘園です。
もともと税金を免除させる権力を持っている中央の貴族や寺社勢力へ荘園を寄進することによって、
不輸の権を得ることができました。
また、国司の立ち入りさえ禁止できる不入の権も獲得するようになります。
寄進地系荘園は10世紀の終わりから11世紀にかけて一般的な土地の所有形態となっていきます。
また、その後、荘園の発達が武士の台頭を許すようになります。
農業が、荘園の中で発達していった点も押さえておきましょう!こちらをチェック!
それでは、簡単な問題を出してみましょう。
問)初期荘園と寄進地系荘園の違いは?
正しい物を◯で囲んでください
①土地の所有者が開発した人であるのが初期荘園、有力貴族や寺社が所有しているのが寄進地系荘園
②不輸の権が認められたのが初期荘園、田租を収めなくても良いのが寄進地系荘園。
答え
①…◯
土地を開発した荘園領主が有力貴族や寺社に差し出した荘園を寄進地系荘園といいます。
②…☓
田租を収めなくても良いのが不輸の権。初期荘園と寄進地系荘園の説明が同じ内容になっています。