【シリーズ軍縮】 (2)INF全廃条約
核配備の過熱と転換
SALTの成果から、米ソの核軍縮は一歩前進しました。ところが、1979年のアフガニスタン侵攻により協力ムードが壊れると、再び対立が深まります。これに伴って、両陣営での核兵器の開発と配備が再び進みます。
この時期に重視されたのは、中距離のミサイルでした。なぜ中距離なのか?それは、ソビエト連邦にとってはアメリカ本土よりも西ヨーロッパ諸国の方が近いから、ですね。近ければ近いほど、目標に正確に当てるのは簡単になります。つまり、より確実に被害を与えることが出来るわけですね。
これに対抗してアメリカも西ヨーロッパ諸国に中距離ミサイルを配備します。ソビエト連邦にやり返すためですね。
ところが、西ヨーロッパ諸国にとってはたまったものではありません。アメリカ製の中距離ミサイルが自分の国に配備されるというのはどういうことでしょうか?これらのミサイルはソビエト連邦本土を狙っているわけですね。それは、ソビエト連邦からすれば、いざ戦争の際には真っ先に破壊しなければならないシロモノになるのです。つまり、戦争の際には確実に西ヨーロッパ各地にソ連謹製の核ミサイルが多数撃ち込まれるということです。たまったもんじゃありません。西ヨーロッパ諸国は反対しますが、配備は進んでいきました。
転機は1985年でした。ソビエト連邦ではゴルバチョフが書記長に就任します。この人はペレストロイカで知られるとおり、外交政策の中心は強硬でなく、対話のできる相手と見られていました。そこで再び、軍縮ムードが出来上がったのです。
中距離ミサイルの全廃!
中距離ミサイルに関する協議は1980年から行われていましたがいったん中断。ゴルバチョフ就任後に再開し、1987年にはINF全廃条約として結実します。これは大きな進歩ですね。SALTを参照してもらえば分かるとおり、通常、交渉は段階的に進みます。しかし今回は、一気に全部廃棄というところまで進んだのでした。これは驚異的な成果であったともいえます。
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