源氏物語の光源氏とは?平安時代について詳しく|古典勉強法
こんにちは。塾講師めるです。
今回は「平安時代の恋愛スタイル」について,
『源氏物語』でお馴染みの「光源氏」を例に挙げて説明していきます!
1)平安男性は「まだ見ぬ女性」に恋をする?
平安時代の女性は,人前ではまず素顔を見せません。人と会うときも御簾(みす:現在でいうカーテン)越しです。
ですから,綺麗な色の着物や黒髪がちらっと見えるだけで「あの屋敷の○○さんは美人らしい」と噂になっちゃうんですね。
平安時代の男性は,基本的に美人の噂に弱いです。
家柄や教養,性格など,噂の女性のプロフィール集めに必死になるうちに,
どんどんその女性を好きになっていっちゃうんですね。
『源氏物語』のエピソードには,とても面白い例があります。
「末摘花」という女性は,黒髪がとても綺麗な美人「らしい」と評判が流れ,
それを聞いた光源氏は,さっそく末摘花にアプローチします。
いざ一晩を共にしてから,朝になって顔を覗いてみたところ,
実は,末摘花は真っ赤な鼻の「醜い」女性だったと分かった,というオチです。(笑)
(ちなみに末摘花とは光源氏がつけた呼び名で,紅花(=紅い鼻)という意味です。ひどいですね……)
2)平安時代の恋愛は「和歌のセンス」が勝負!
さっきも説明した通り,平安時代の女性は人前で素顔を見せないので,
現在のように「デートに行く」なんてことはできません。
その代わり,平安時代の人々は,想いを和歌に込めた恋文(ラブレター)で仲を深めました。
このときの和歌のセンスが,恋愛の行方を大きく左右したんです。
とっさに気の利いた上手い和歌を詠める人は,それだけでモテたんですね。
ちなみに,一夜を共にした翌朝にも男性は女性に文を送りました。
この文のことを「後朝(きぬぎぬ)の文」と言います。(読み仮名がよく出題されます!)
この「後朝の文」は『源氏物語』にも登場します。
光源氏は「紫の上」という少女を幼いうちから引き取り,自分の「理想の女性」として育ててきました。
そして,念願かなって紫の上と一夜を共にした翌朝,光源氏が枕元に残した「後朝の文」には,こんな和歌が書かれていました。
あやなくも 隔てけるかな 夜を重ね さすがになれし 中の衣を
(どうして私たちはこれまで 何事もなく過ごしてきたのでしょう。
幾夜ともなく一緒に寝て馴れ親しんできた仲なのに)
この後,紫の上は正式に光源氏の妻となり,ほぼ生涯にわたって光源氏に寄り添い続けました。
3)平安時代の結婚生活は「通い婚」だった!
この時代は,夫婦が同じ屋敷に住んでいるということはほとんどありませんでした。
妻の家に夫が通う「通い婚」という結婚生活が一般的だったんですね。
また,平安時代は「一夫多妻制」だったので,一人の男性が何人もの妻を持っても良い時代でした。
光源氏があまりにも様々な女性に手を出しているのを見て,
「光源氏ひどい!浮気しすぎ!」と思う方もいるかもしれませんが,
当時はむしろ「妻」が多いことはステータスだったんです。
4)まとめ
いかがでしたか?今回のポイントは以下の通りです。
・平安時代の貴族女性:素顔をめったに見せなかった
・平安時代の恋愛 :恋文(=和歌)のやり取りで仲を深めた
→一夜を共にした翌朝は「後朝(きぬぎぬ)の文」という文を送った
・平安時代の結婚生活:妻の家に夫が通う「通い婚」と「一夫多妻制」が一般的
平安時代の恋愛スタイルを知っておくと,古典の理解度がグッと深まります!
今回紹介した『源氏物語』のエピソードや詳しいあらすじが気になる方には,
漫画『あさきゆめみし』(著:大和和紀,講談社コミックスmini)がオススメです。
興味のある方は,勉強の合間にぜひ読んでみてくださいね!