勉強法 フランスの英雄ナポレオンの生涯とは?

フランスの英雄ナポレオンの生涯とは?

近代フランス史上、最も有名でヨーロッパ大陸の大半を征服した 、戦争と政治の天才・それがナポレオンだね。 
 
以下、彼の人生を年表でたどりながら、 受験で出題されやすい点を見ていこう。 

 

■年表 

1769年

ナポレオン・ポナパルト、コルシカ島に誕生

1796年 イタリア遠征
1798年 エジプトに遠征
1799年 クーデターを成功させ、統領政府を立てる
1800年 オーストリア軍に勝利
1802年 イギリスと「アミアンの和約」を結び、講和する
1803年 ナポレオン法典を制定
1804年 法典を公布
同年 皇帝の位に着く(第1帝政
1805年 トラファルガーの海戦にてイギリス海軍に敗北
同年     アウステルリッツの三帝会戦に勝利
1806年 ライン同盟を結成、神聖ローマ帝国を滅亡させた
1807年 プロイセンとロシアを破り、ティルジット条約を結ぶ
1812年 ロシアに遠征・失敗
1813年 対仏大同盟を結成され、諸国民戦争にて敗北
1815年 ワーテルローの戦いで敗北
1821年 セント=ヘレナに流され死去

 

1)どこで生まれたの?

ナポレオン=ボナパルト」(1769-1821)は、 イタリア半島の南、コルシカ島の出身だ。 

 

 

2)軍人としての功績は?

軍人として出世して「イタリア遠征」の際には敵軍を破り、 名声を高めてエジプトにまで戦いに行ったんだ。 
 

1800年オーストリアを破り、 1802年イギリスと「アミアンの和約」という、講和条約を結んだ。

ただ、1805年には「ネルソン」提督率いるイギリス海軍に、フランスは負けてしまった。 

これが有名な「トラファルガーの海戦」だね。 
 
しかし大陸では、「アウステルリッツの三帝会戦」を始め、連戦連勝! 

ヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置くことに成功した。 

 

 

3)政治上の功績は?

軍事と並行して1803年に「ナポレオン法典」を制定し、1804年に公布した。 

圧倒的な人気を得て、皇帝の位につき、ナポレオン1世になったんだ。

以後の彼の政治は「第一帝政」と呼ばれるよ。 
 

 

 

4)人生最大の失敗は?

彼の生涯最大の失敗は、大軍で「ロシアに遠征」しちゃったことだね。 

ロシアの焦土戦術で、フランス軍はあまりの寒さに負けてしまい、 多くの兵士を失ってしまったんだ。 
 
その直後、ロシア・プロイセン・オーストリアの対仏大同盟」連合軍と戦い、敗北したのが 「諸国民戦争」だね。 
 

ナポレオンは島流しになったが、脱出して再度帝位についた。 

しかし「ワーテルローの戦い」で大敗し、「セント=ヘレナ」に流されて、51歳で生涯を閉じたんだ。 
 

※「」をつけた赤い文字の単語は、すべて重要なので覚えておこう!