勘解由使を設置して国司交代を監視させた理由は?じっくり解説!
1、勘解由使とは?
勘解由使を設置して国司交代を監視させた理由は何でしょうか。
まず、勘解由使とは、桓武天皇が797年に設置した令外官で、国司交代の際に出される後任者が事務引き継ぎを完了した旨の文書(解由状)を検査して、国司交代を監視する役職です。
ここで出てくる「解由状」とは、国司在任中の徴税や官有物の管理などに問題がなかったことを証明する文書です。「解由状」も入試で問われることがありますので、しっかりと頭に入れておきましょう。
2、勘解由使設置の理由
ここまで勘解由使の性質について説明してきましたが、なぜ、解由状を検査させる役職が必要となったのでしょうか。
一言で答えを言ってしまうと、前任国司と新任国司との間で解由状を巡るトラブルが増えてしまっていたからです。
具体的には、奈良時代後半から国司の給料に関する争いが頻発するようになりました。トラブルの原因として745年に「公廨稲(くげとう)」と呼ばれるもの(公出挙の一種です。この用語が入試で問われることはありませんので、覚えなくて構いません)が正税から分離されて国司の給料となったことが挙げられます。
公出挙の利子の一部が国司の新たな財源となり、これを巡って前任国司と新任国司との間で紛争が起こるようになってしまったのです。
給料についてトラブルが起きると新任国司が解由状を発給せず、国司交代の手続が完了しなくなる不都合が生じ、また、解由状を出させるために前任・新任国司間での不正(賄賂などの違法取引)が行われるようになりました。
安定した地方政治を行うためには国司交代を迅速に行う必要がありました。そこで、これらの事態を防止して国司交代を円滑にさせるために設置されたのが勘解由使なのです。
給料の財源となる公出挙の利子を巡る前任・新任国司間の紛争、不正を発生させないことが、勘解由使設置の理由となります。