蔵人頭が設置された理由は?
1、蔵人頭とは
蔵人頭とは、天皇側近に侍して機密の文書や訴訟を扱う令外官のこと。
810年、嵯峨天皇が薬子の変に際し、藤原冬嗣、巨勢野足を蔵人頭に任じたのに始まります。
秘書的役割を担う役職で天皇の意思を太政官組織に迅速に伝えることが主な仕事です。
蔵人頭が薬子の変が契機で採用された役職であることから、薬子の変より蔵人頭を見ていきたいと思います。
2、薬子の変と蔵人頭の関係
薬子の変とは、平城京遷都を主張する平城太政天皇と嵯峨天皇(平安京)が対立して二所朝廷と呼ばれる混乱が生じましたが、嵯峨天皇側が迅速に兵を出したことで勝利した事件です。
負けた平城太政天皇側の中心人物が藤原薬子であったことから、薬子の変と呼ばれます。
薬子の変当時、薬子は内侍司(ないしのつかさ)の長官である尚侍(ないしのかみ)という役職に就いていました(内侍司、尚侍という役職名は覚えなくても構いません)。この尚侍とは、臣下が天皇に対して提出する文書を取り次ぐ、天皇の命令を臣下に伝える役職です。
蔵人頭同様、秘書的役割を担っており、尚侍を通さないと天皇は臣下に対して命令を下せない形となっておりました。
嵯峨天皇からすれば、尚侍の薬子が敵方の中心人物であることから、自分の命令を家臣に伝える手段が無くなってしまったのです。この状況を打破するため、嵯峨天皇は尚侍を通さなくても臣下に対して命令を発することができるよう、新たな秘書的役割を担う役職を創設する必要が生じました。この際に設置されたのが蔵人頭です。
つまり、新たな意思伝達ルートとして蔵人頭が設置されたということです。
3、蔵人頭設置の理由
秘書的役割を担った蔵人頭。旧来の臣下へのチャンネルを敵方の平城太政天皇に握られてしまった嵯峨天皇が、新たに自身の意思を家臣に伝えるために設置したのが蔵人頭なのです。