東ローマ帝国がビザンツ帝国に?その背景とは|世界史勉強法
最後までローマ帝国のつもりだった
ローマ帝国は領土が広くなりすぎて、東西に皇帝を置いて統治を始めたんだ。
そのうち東にあったのが東ローマ帝国だよ。
ただ、当時は国民も皇帝も別の国なんて思ってなくて、1つの帝国のつもりだった。
後世のの歴史家が西ローマ帝国と東ローマ帝国に勝手に分類したんだ。
そして、西ローマ帝国が476年に滅亡すると、東ローマ帝国という名前ではおかしいし、
もう首都はローマじゃないから、当時の首都の旧名からビザンツ帝国という名前をつけたんだ。
これは、他の国の人が勝手にそのように呼んでいただけ。
1453年にオスマン帝国に侵略されて滅亡するまで、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の国民も皇帝も、
自分たちのことは単に「ローマ帝国」だと名乗っていたんだ。
こんなことはテストには出ないから点数には結びつかないけど、東ローマ帝国がビザンツ帝国と同じ国だということは覚えておこうね。
あと、テストでは西ローマ帝国が滅亡してしばらく経った後はビザンツ帝国と書くようにしたほうが無難だよ。