「時間がないから言った通りにやって。」その5分を節約できても大事なものを失っています。
「時間がないから言った通りにやって。」
受験勉強に限らず、仕事でも、友達同士のグループワークでも度々聞かれるこの言葉。
言った通りにやってという発言から、何かの面で一人が優位に立っていて指示を出す立場であることはわかります。
おそらく期限が近づいており、メンバーや部下に協力を仰ぎたいのでしょう。
受験勉強では、こんな状況でしょうか。
生徒「この問題(数学)、なんでここでまず両辺の対数をとってみようという発想になるのでしょうか」
先生「数学を極めた人が掴んだ経験則だから、受験が近いことだし深く考えず君はとりあえず覚えてやってみなさい」
生徒(その場しのぎの知識だけ覚えればいいんだ!なるほど!)
(なんでこうすればいいかよく分からないけどそんなものか)
(この先生は自分に時間を割くのが勿体ないと感じているのかな?)…
なかなかキレのある例が出せなくて申し訳ないですが、それはさておき、この状況どう思いますでしょうか。
主に社会を見るようになってわかったこと
人は納得して初めて物事に本気で取り組み、100%の力を出すことができます。
本気で信じて、本気で良くしたいと思ってこそその人が持てる力を全て発揮して、時間を顧みず取り組みます。
しかし、上司や先生が「適当で良い」「時間ないから」でないがしろにしてしまうことでこの気持ちを踏みにじっているのです。
先ほどの数学の例を考えると、例えばこの単純な疑問にとことん付き合うことで数学の面白さや深みに生徒自身が気づいたり、直接的に点数を上げるわけではないほんの小さな知識を活き活きと語る先生に憧れて教師の道を志したり、、、
みなさんも多少なりとも実感があるかと思います。
その時の心境を振り返ってみてください。
先生、そして「人に教える」立場にある方々へ
ぜひ、意見してきた人に対しては真摯に向き合い、納得のゆくまで議論してあげてください。
必死に練って質問してきたことを蔑ろにすることは、相手に対して失礼でありあなた自身の信用を失います。
良い先生、良い指導者になるとは、単にビジネスライクに生徒と先生、という関係をもつだけではなく、一人の人間同士として向き合えるようになることだと思います。
もちろん、本当に時間がなくてどうしても議論していられないときもあるでしょう。
そのときはその旨を伝え、どうしても時間が取れなかったり意味がないことを納得してもらいましょう。
そうすることで自分のことだけ考えているわけではないことが相手にも伝わり、信頼を失うことなく目的を達成できるでしょう。