漢書地理志と後漢書東夷伝と魏志倭人伝の違い!|日本史勉強法
『漢書地理志』、『後漢書東夷伝』、『魏志倭人伝』は、古代で最もよく出てくる代表的な3つの史料ですね。
「よく分からない言葉で長々と書かれていて、読む気が起きない・・・」という受験生も多いのがこの資料ですが、逆にそこを狙った問題が多いのも事実なんです。
それでは、『漢書地理志』『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』の内容のうち、試験によく出てくる箇所に焦点を当ててみたいと思います!
【漢書地理志】
『漢書地理志』はB.C.(紀元前)1世紀ごろに中国の国「漢」が、日本の国「倭」について書いたものです。
楽浪郡という場所の海の向こう側に、倭という100余りの小国に分かれた国がある。
この倭は、時々漢の国まであいさつをしに来る、ということが書かれています。
【後漢書東夷伝】
『後漢書東夷伝』も、中国の「後漢」という国が、「倭」(日本)の様子を記したものです。
57年に、倭の一つの国である「奴国」の使者が後漢に赴き、後漢の王である光武帝から金印(金の塊でできたハンコ)を授かったという内容がメインです。
107年に、奴隷(当時は生口と言います)を160人ほど献上し、当時の王である安帝に挨拶した。
といった内容が書かれています。
【魏志倭人伝】
『魏志倭人伝』には、「ずっと争いの絶えない倭は、それまでの男の王に代わって卑弥呼という女の王を立てたところ、占いや祈祷を行って、弟を通じてお告げをして、政治を安定させている。」
ということが書かれています。
詳しくは、資料集などを参考にすると日本語訳がついていたりします。
教科書に載っている資料の原文は、細かい年号や単語、意味と一緒に丸暗記してしまいましょう。(それが資料問題で点数を取るのに一番ラクなやり方です)
これで、史料問題対策はバッチリです!