勉強法 藤原四家の重要人物! 京家、南家、式家、北家それぞれ解説します^^

藤原四家の重要人物! 京家、南家、式家、北家それぞれ解説します^^

藤原四家で覚えなければならない人物は誰なのでしょうか。まず、藤原四家とは藤原不比等の子供4人から分かれてできた家です。それぞれの家に分けて記憶しなければならない人物を紹介していきます。ただ漫然と覚えるのではなく、政治史との絡みで把握するのがポイントです。

 

京家

京家は一代目の藤原麻呂以外に著名な人物はいません。よって麻呂だけをチェックしておけば良いです。京家=麻呂と覚える方法として、京といえば公家、公家といえば麻呂と連想して、京家はお公家さんのような名前の麻呂と記憶すれば楽に覚えられると思います。

 

南家

南家は初代の藤原武智麻呂藤原仲麻呂を覚えましょう。南家=武智麻呂の覚え方は、なん(む)家、むちまろと最後の文字が繋がっていると記憶すれば良いです。

仲麻呂は恵美押勝とも呼ばれ、孝謙、淳仁天皇の時代に権勢を奮いました。南家は藤原四家の中で初めに台頭した家で、道鏡の排除を狙った藤原仲麻呂の乱とともに衰退していったと覚えておきましょう。

 

式家

式家は全部で6人有名な人物がいます。

まず初代の宇合ですが、これは仕切る(式る)のうまかい(宇合)、つまり、仕切るのが上手な宇合と覚えましょう。

2人目は藤原広嗣です。藤原四兄弟の死後に実権を握った橘諸兄らに反旗を翻した藤原広嗣の乱を起こした人物です。

3人目は藤原百川です。称徳天皇の死後に即位した光仁天皇(桓武天皇の一代前)を支えた人物で、式家は百川の代から権力を握っていきます。

4人目は桓武天皇の時代の人物である藤原種継です。藤原種継は長岡京を造っている最中に殺害されたことで有名です。

5人目、6人目は藤原薬子・仲成です。平城、嵯峨天皇の時代の人物で、薬子の変で有名です。薬子の変によって、式家は衰退していきます。

覚える人物は多いですが、宇合→広嗣(藤原広嗣の乱)→百川(光仁天皇擁立)→種継(長岡京造宮使)→薬子・仲成(薬子の変)と奈良・平安初期における政治史上の重要人物ですので、しっかりと覚えなければなりません。

 

北家

北家は初代の房前以降、嵯峨天皇の時代に台頭した冬嗣まで奮わなかった家です。初代の房前を注意して覚え、冬嗣以降の藤原家は全て北家の人物であると覚えましょう(良房基経道長頼通等)。薬子の変で衰退した式家に代わって、冬嗣の代で北家が興隆しました。

 

まず、南家が藤原四家の中で主導権を得て藤原仲麻呂の乱で衰退。光仁天皇の擁立以降、式家が勢力を広げたが薬子の変で失脚。最終的に北家が台頭し、平安時代の摂関政治に繋がっていきました。上記のように政治史の流れを掴みつつ、各家の人物を抑えていけば苦労せず理解することができるでしょう。また、問題演習などで藤原家の人物が出てきた場合(奈良・平安前期)には、その人物がどの家の出身なのか逐一確認すれば更に知識が定着するでしょう。