北面の武士、西面の武士の「北」、「西」って何を意味してるの?
1、北面の武士
北面の武士とは、院御所の北面に詰め、上皇の身辺を警備した武士のことを言います。なぜ「北面の武士」と呼ばれるのかというと、北面の武士の本拠地が上皇の住まいの北側に位置していたからです。北面の武士は11世紀末に白河法皇が院の直轄軍として、寺社の強訴に対応するために創設したものです。北面の武士を創設した人物についてよく入試で問われますので、白河法皇、北面の武士のセットをしっかりと覚えておきましょう。
2、西面の武士
西面の武士とは鎌倉時代に院御所の西面に詰め、上皇の身辺警護を行った武士です。北面の武士の名前の由来同様、こちらも院御所の西側に本拠地があったことから「西面の武士」と呼ばれるようになりました。西面の武士は、1200年頃、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の軍事力に対抗して結成したものです。「西面の武士」、「後鳥羽上皇」の組み合わせもよく出題されますので、注意して覚えましょう。
3、まとめ
北面の武士、西面の武士ともそれぞれ院御所の北側、西側に詰め所があったことが名前の由来となったのです。
(問)以下の各文章で正しい文には〇、間違っている文には×を付けよ。
1、北面の武士を創設したのは堀河天皇である。
2、西面の武士を創設したのは後醍醐天皇である。
(答え)
1、×
2、×
(確認)
1、北面の武士を創設したのは白河法皇です。堀河天皇は白河法皇の子になります。白河→堀河の流れを掴んでおきましょう。
2、西面の武士を創設したのは後鳥羽上皇です。後醍醐天皇は鎌倉幕府を打倒した天皇ですので、そもそも時代が異なります。