オイルショックの影響って?オイルショックで大事な3つのポイント!
「オイルショック」と聞くと、「トイレットペーパー」をイメージする方が多いと思います。しかし、オイルショックは日々の生活だけでなく、世界政治にも大きな影響を与えた出来事なのです。受験では、オイルショックの単語を問うよりも、正誤問題で出題される可能性が高いと思います。なぜなら、オイルショックは国内、海外の情勢を理解する必要があるからです。今回は、オイルショックで理解すべきポイントについて確認しましょう。
① 第一次オイルショック
第一次オイルショックは1973年に起きた第四次中東戦争が背景になっています。第四次中東戦争ではイスラエルVSエジプト・シリアが戦いました。図にすると以下の通りです。
第四次中東戦争
イスラエル VS エジプト・シリア
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アメリカ支援 アラブ諸国(産油国)支援
アメリカが支援するイスラエル軍は大変強く、アラブ諸国は苦戦しました。そこで、アラブ諸国は自分達が産み出す「石油」を利用したのです。産油国(石油を産み出す国)で構成されるOPEC(石油輸出機構)はイスラエルを支援する国々への石油の輸出を止めたのです。そして、原油の価格を大幅に引き上げました。これが、第一次オイルショックを引き起こした原因なのです。
日本はイスラエルを支援しませんでしたが、石油の輸出をアラブ諸国に頼っていました。そのため、その影響を受け、物価が20%も上がったのです(狂乱物価)。そして、オイルショックは経済の高度成長を終わらせ、低成長期に日本は突入することになります。この時、人々がトイレットペーパーを買い求めましたが、これはデマによって広まった騒動なのです。オイルショックとは関係ありませんので注意しましょう。
この時、フランスのジスカール・デスタン大統領の提案により、オイルショックからの経済回復を議題としたサミット(先進6カ国首脳会議)が始まりました。なお、第一次オイルショックの時の総理大臣は田中角栄です。首相の名前も要チェックです。
② 第二次オイルショック
第二次オイルショックは1979年に起きたイラン革命が背景にあります。イランでは王政がなくなり、宗教指導者が政治をするシステムに変わりました。これをイラン革命と言います。イラン革命の影響で、イランでの石油の生産がストップし、日本では再び物価が上がりました。しかし、前回のオイルショックの反省が活き、パニックになることはありませんでした。
第二次オイルショックの時の総理大臣は大平正芳です。田中首相と比べると知名度は低いですが、出題されるとライバルに差をつけることができます。要チェックです。
2回のオイルショックの経験を踏まえ、資源を無駄にしない省エネが始まりました。この頃から、地球に配慮した機械や自然エネルギーの研究が始まりました。オイルショックは日本から離れた場所で起こった戦争が、直接、私たちの生活に影響を与えた出来事でした。二度のオイルショックの背景を理解しましょう。
③世界への影響
オイルショックは世界にも大きな影響を与えました。特に先進工業国への影響は大きく、アメリカは戦後からのブレトン=ウッズ体制の変更を余儀なくされました。そして、先進6カ国によるサミットが始まりました。第二次世界大戦後、アメリカ、ソ連の二つの超大国が世界をリードしてきましたが、オイルショックは米ソの2国体制を揺るがす出来事でもあったのです。オイルショック以降、世界各国は中東情勢をこれまで以上に注視するようになりました。
今日の復習
( )に当てはまる語句を入れましょう
1973年、第一次オイルショックは(A)を背景に起きた。(B)はイスラエルを支援する国への石油の輸出を止め、原油の値段を大幅に引き上げた。日本でも、オイルショックの影響を受け、物価が20%も上がった。この物価上昇を(C)という。
1979年、第二次オイルショックは(D)を背景に起きた。この時は、前回のオイルショックの反省を踏まえ、大パニックにはならなかった。当時の首相は(E)である。2回のオイルショックの経験を踏まえ、日本では(F)の取り組みが始まった。
答え、A 第四次中東戦争 B OPECまたは石油輸出機構 C狂乱物価 Dイラン革命 E大平正芳 F省エネ
解説 A 第四次中東戦争だけでなく、他の中東戦争も調べておきましょう。B 記号、組織の名前を両方とも覚えておくことが大切。D イラン革命の流れもチェックしておきましょう。