日米和親条約とは?日米和親条約はこれを見れば完璧!
1 日米和親条約とは?
日米和親条約とは、1854年、江戸幕府がアメリカとの間で結んだ条約です。
日米和親条約をむすんだことで、二百数十年続いた鎖国の時代が終わります。
その4年後には、新たに日米修好通商条約が結ばれることになります。
まずは日米和親条約の内容を正確におさえ、両者の違いを理解しましょう。
2 日米和親条約の内容とは?
日米和親条約には、全部で12の条文があります。
とはいえ、「これからずっと仲良くやっていきましょう」(1条の意訳)という努力目標のような内容のものや、「船が難破したら船員を助けましょう」(3条の意訳)というような人道的な内容のようなものも含めて12です。
ですから、12の条文の内容をすべて覚える必要はありません。
重要な条文の内容を正確に理解すればじゅうぶんです。
3 日米和親条約で特に重要な内容は?
それでは、日米和親条約の中でも特に重要な条文の内容を説明したいと思います。
① 下田と箱館(函館)を開港する(2条)。
開港といっても、貿易をするわけではありません。
この二か所の港で、アメリカの船舶が、薪水、食料、石炭などの補給ができるということです。
② アメリカに片務的最恵国待遇を与える(9条)
片務的最恵国待遇といわれても、すぐには理解できないかもしれません。
まず、「最恵国待遇」から説明すると、おおざっぱに言えば、ある国と条約を結ぶ国の中で、最も有利な扱いを受ける権利があるということです。
例えば、日米和親条約を結んだ後、日本がアメリカ以外の国(仮にB国とします)との間で、和親条約を結ぶことになったとします。その条約の内容では、アメリカに開校した下田と箱館(函館)に加えて、別の港も開港する(あわせて3か所の港を開港する)ことを約束したとします。
これでは、B国は、アメリカが日米和親条約で得た待遇よりも有利な待遇を受けることになってしまいます。これを防ぐのが最恵国待遇です。
最恵国待遇を与えると、日本がアメリカ以外の国との間で、アメリカと結んだ条約よりも相手国にとって有利な条約を結んだ場合、その条約が自動的にアメリカとの間でも適用されることになります。
上の例でいえば、日本は、アメリカとの間で、日米和親条約を結び、下田と箱館(函館)の二港を開港したわけですが、後にB国が、三港を開港するという日米和親条約よりも有利な条約を結びました。その結果、アメリカとの間で新たに条約を結ぶことなく自動的に、B国に開港された港をアメリカにも開港したことになる、これが最恵国待遇です。
次に「片務的」という言葉の意味です。
これは、「片方だけが義務を負う」ということです。日米和親条約でいう「片方」は日本のことです。
つまり、日本はアメリカを最恵国として扱う義務を負うのですが、アメリカは日本を最恵国として扱う必要はないということです。アメリカが、日本以外の国(仮にC国とします)との間で、C国に有利な条約を結んだとしても、その条約は日本には影響を及ぼさないということになります。
日米修好通商条約が不平等条約であることはご存知のとおりですが、日米和親条約の時点ですでに不平等なのです。
③ 下田にアメリカ領事を置く(11条)
日本とアメリカの両政府のいずれかが必要と認めたときは、アメリカ政府は、下田に領事を置くことができるとされました。
注意が必要なのは、日本とアメリカ両政府の「双方が必要と認めたとき」ではなく、「いずれかが必要と認めたとき」とされている点です。
つまり、アメリカ政府が必要と認めたときは、(日本の政府の意向とは無関係に)アメリカ政府は下田に領事を置くことができることになっているのです。
現に、日米和親条約を結んだ後、アメリカ側の要求で領事が置かれることになりました。
4 復習してみよう!
日米和親条約の内容が理解できたでしょうか。
それでは、最後に復習として次の問題に挑戦してみてください。
(問)日米和親条約に関する記従として間違っているものはどれか次の①~④から1つえらべ
① 日米和親条約は、1854年に結ばれた。
② 日米和親条約によって、下田と函館が開港された。
③ 日米和親条約では、双務的最恵国待遇が与えられた。
④ 日米和親条約で、下田にアメリカ領事を置くことが認められた。
(答)
③ ×双務的 ○片務的
条約を結んだ二国のうち片方だけが義務を負うことを「片務的」というのに対し、二国とも(つまり双方の国が)義務を負うことを「双務的」といいます。
日米和親条約の内容では、日本だけがアメリカに最恵国待遇を与える義務を負っているので、「双務的」は間違いとなります。