ベルリン封鎖とベルリンの壁の違いとは一体!|世界史勉強法
■ドイツの降伏と戦後の連合国による統治
ナチスのヒトラー率いるドイツは1945年に白旗を上げて連合国に降参!
連合国のイギリス、フランス、アメリカ、ソビエトはドイツを分割して、さらに首都だったベルリンもこの4カ国によって分割統治されたんだ。
ところが、ここで今後ドイツをどうするかでアメリカ側3カ国vsソビエトで大喧嘩発生!
アメリカ側は、ドイツを自由主義経済の国にしたかったし、ソビエトは社会主義経済の国にしたかった。
■ベルリン封鎖
ベルリンの周囲はソビエトの管理地で、ベルリンの3カ国の管理地の周りはまるっとソビエトの管理地。
ここに目をつけたソビエトは、ベルリンの3カ国管理地への道路、鉄道、水路を完全に遮断!
こうすれば、食料、燃料、医薬品、生活用品がなくなって、目障りな3カ国も出て行くと考えたんだ。
これが1948年6月に起きたベルリン封鎖だよ。
ところが3カ国も諦めが悪く、飛行機を使って物資を運び続けて粘ったんだ。
このままだと、戦争になりそうだったから、1949年5月にベルリン封鎖は解除になった。
■ベルリンの壁
ベルリン封鎖のあった1949年は、ドイツが西ドイツと東ドイツに分断された年なんだ。
3カ国が統治していた地域は西ベルリンと呼ばれて、西ドイツの領土ではなかったけど、実質的に西ドイツの統治下になった。
しばらくすると、西ドイツと東ドイツで生活に差が出始めたんだ。
西側の生活のほうが豊かで、東側は劣るようになっていった。
すると、実質西ドイツの統治下にあった西ベルリンに行き亡命申請、そのまま飛行機で高飛びする人が続出したんだ。
東ドイツ政府は、これはヤバイとばかりに西ベルリンを鉄条網やバリケードで囲ったんだ。
これが1961年の出来事で、ベルリンの壁ができた年とされているよ。
その後、東ドイツは高い壁を作って西ベルリンを完全に包囲してベルリンの壁は完成した。
ベルリン封鎖とベルリンの壁は全く別の出来事で、起こった年も違うことを確認しよう。