ビザンツ帝国とラテン帝国の関係とはいったい?|世界史勉強法
ビザンツ帝国とラテン帝国
ビザンツ帝国は、東ローマ帝国の後の名前だよ。
そのビザンツ帝国は1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで続いたんだ。
だけど、ビザンツ帝国は1204年~1260年の間、ラテン帝国に占領されていたんだ。
どうしてこうなったんだろうね。
金と権力に眼がくらんだ十字軍
これは十字軍が関係しているんだ。
ローマ教皇インノケンティウス3世は、イスラム勢力アイユーブ朝の首都カイロを攻撃するために、第4回十字軍を集めた。
これはカイロを海から襲撃する計画で、金のかかる兵士の輸送はヴェネツィアに依頼したんだ。
ところが、これがヤバイことになる原因だった。
ヴェネツィアはアイユーブ朝と交易をして、ボロ儲けしていたんだ。
お客さんのところへ行って暴れたら、もう商売できなくなっちゃうね。
だから最初からヴェネツィアはアイユーブ朝と喧嘩する気ゼロだったんだ。
その代わりに目をつけたのが、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルだったんだ。
コンスタンティノープルは交易が盛んで、ヴェネツィアにとって目障りな商売のライバルだった。
ヴェネツィアは「十字軍がコンスタンティノープルを落としたら、貿易独占できてハッピー♪」ってセコイ事を考えた。
そこで、ヴェネツィアは金をチラつかせて、金に目がくらんだ十字軍はこの都市を襲撃したんだ。
たまらずビザンツ帝国の皇族は逃げ出して、1204年に十字軍はラテン帝国の建国を宣言したんだ。
逃げ延びたビザンツ帝国の皇族はニカイア帝国を建てて反撃の時を待つことになった。
1261年、ニカイア帝国は、ラテン帝国の軍隊が遠くへお出かけしてお留守の隙にコンスタンティノープル奪還に成功!
今度はラテン帝国の皇帝が逃げ出して、ビザンツ帝国復活!
第4回十字軍が無茶苦茶やって、勝手にラテン帝国つくってとビザンツ帝国にとっては災難だったね。
ビザンツ帝国は復活はしたけど、かつての繁栄はもどってこなかったんだ。
ラテン帝国はビザンツ帝国の衰退に大きく関係しているよ。