徳川将軍って何をしたの?流れをつかんで覚えよう!綱吉〜吉宗編
民衆困惑?徳川綱吉
3代目・徳川家光によって江戸幕府は地盤を固めました。そして4代目・徳川家綱の次は5代目・徳川綱吉です。犬将軍というあだ名をつけられた将軍ですね。
というのも、綱吉は生類あわれみの令という極端な動物愛護令を作ってしまったからなんです。動物を大事にするといわれれば聞こえはいいですが、犬を御輿にのせて移動させるなど、本当に奇妙な法律だったようです。民衆大困惑ですね。一説によると、お坊さんに「跡継ぎが欲しいなら動物を大事にしない」という助言を受けたことが原因らしいです。
加えて、綱吉は貨幣の改悪までしてしまいました。改悪といわれてもしっくりこないので、具体的に説明しましょう。金銀で出来ていた貨幣に不純物を混ぜてしまったんです。そんなことをすれば貨幣が腐ったりして使えなくなりますよね。再び民衆大困惑です。因みに、貨幣を改悪したのは江戸幕府の財政難が原因でした。お金が足りないから貨幣の量を増やそうとしたんです。現在で言うところのインフレにしようとしたのですが、方法が悪かったので失敗してしまいました。
質素倹約!徳川吉宗
その後は6代目・徳川家宣、7代目・徳川家継と続いて、8代目将軍には徳川吉宗が選ばれました。元々、将軍になれる立場ではなかったのですが、他に跡継ぎがいなかったため将軍の座につくことができました。ラッキーですね!綱吉と同様、吉宗にもあだ名があります。米将軍です。何故こんな呼ばれ方をしたかというと、やはり吉宗が行った政策が関係しています。
実は吉宗が将軍になった頃、幕府は大変な財政難でした。そのため、質素倹約に努めたのです。吉宗が行った一連の改革を享保の改革といいます。では、具体的に何をしたのでしょうか?米将軍のあだ名と関係してきますが、参勤交代を緩める代わりに、幕府に米を献上させました。米を備蓄して節約です。(参勤交代は、1年おきに江戸と領地を往復する制度のことですね)これを上米の制といいます。
また、更に節約するために奥さんの人数も減らしました。徹底していますね!他にも足高の制(身分が低くても、有能な人なら登用してもらえる制度)や目安箱(庶民の意見を聞くための箱)の設置などを行いました。質素倹約重視の政策をとったせいか、庶民派のイメージが強い将軍です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?「暗記科目は理由を考えれば簡単だ」という意見をよく聞きますが、学校の教科書には理由が書かれていないことが多いですよね。今回の記事で、少しでも江戸幕府の流れや政策の理由を掴んでもらえれば嬉しいです。ご拝読ありがとうございました。